アンゴラ内戦(1974-2002) |
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戦争(紛争)名 |
アンゴラ内戦 |
戦争期間 |
1974-2003年 |
戦争地域 |
アンゴラ |
戦争の結果 |
MPLAの勝利 |
死者数 |
360万人以上。現在も地雷などの影響で増加中。 |
国名 |
アンゴラ共和国 |
首都 |
ルアンダ |
人口 |
1849万人(2008年) |
公用語 |
ポルトガル語 |
宗教 |
キリスト教、土着宗教 |
民族 |
オヴィンブンド人37%
キンブンド人25%
コンゴ人13%
メスチーソ2%
ポルトガル人1% |
主要産業 |
石油、ダイヤモンド |
備考 |
旧ポルトガル植民地。 |
交戦勢力 |
MPLA |
←敵対→ |
UNITA |
キューバ共和国 |
FNLA |
SWAPO |
南アフリカ共和国 |
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ザイール(コンゴ民主共和国) |
国際社会の動き
年代 |
動向 |
1989年〜 |
国連アンゴラ監視団 (UNAVEM) |
1991年〜 |
第2次国連アンゴラ監視団 (UNAVEM II) |
1995年〜 |
第3次国連アンゴラ監視団 (UNAVEM III) |
民間軍事会社の出現〜エグゼクティブ・アウトカムズ〜
アフリカの内戦にはその殆どで旧宗主国と密接な繋がりを持った傭兵達が戦地を暗躍した。これら傭兵は限られたネットワークで構築され、小規模な単位で戦地に派遣され軍事顧問や直接行動部隊として敵軍に打撃を与えた。
各国の内戦が収束を見ない中、1989年に南アフリカで今日広く知られる様になった民間軍事会社(PMC:Private Military Company)の最初のモデルケースが誕生した。エグゼクティブ・アウトカムズ社(Executive
Outcomes)である。創設者は元ローデシア軍特殊部隊の兵士で、南アフリカへ亡命後、旧南アフリカ国防軍SADF第32大隊副司令官だったイーベン・バーロウである。南アフリカは当時アパルトヘイト問題を抱えており、アフリカ民族会議代表のネルソン・マンデラ氏(後の南アフリカ大統領)は黒人社会に高圧的な白人組織の解体や軍縮を要求していた。こうした中で特殊部隊や諜報機関、それに連なる白人準軍事組織などが解体、縮小されていく。当然第32大隊も例外ではなく1993年3月26日には完全に廃止される。バーロウはこの軍縮にいち早く注目し、第32大隊などの精鋭部隊に所属していた兵士を多く雇用する事に成功した。彼らは不正規戦やジャングル戦を訓練された精鋭であり、長期間の訓練を必要としないまさに即戦力であった。
EO社が設立後最初に参入したのが1993年のアンゴラ内戦である。当時政権側にいたMPLAはアンゴラ北部を支配下に置き、油田を主な資源としていたが南部を支配していたUNITAにはダイヤモンド鉱山があった事から資源戦争に発展していた。UNITA活動の資金となっているダイヤモンド鉱山を奪取するためMPLAはEO社と契約し、アンゴラ正規軍(MPLA)の訓練及びUNITAに対する掃討作戦を実行した。EO社の戦力は圧倒的でUNITA側に壊滅的被害を与えることに成功し、1974年以降続いていた泥沼の内戦を僅か1年で終結させた。
しかし勝利者たるMPLA政権はソ連、キューバからの軍事支援を受けていた経緯があり、これに対してUNITAを支援していたアメリカ及び国連から圧力がかかり最終的にEO社はアンゴラからの撤退を余儀なくされた。
しかしながら一民間企業でありながら戦局を変えてしまうほどの作戦能力は高く評価され、EO社は各地に傭兵を派遣していく事になる。シエラレオネ内戦ではRUFの資金源であったダイヤモンド鉱山の制圧を行い和平交渉のテーブルにつかせるなどし、世界を驚かせた。
こうした実績と優秀な人材コネクションを背景にEO社は成長し、民間企業のセキュリティやVIPの身辺警護サービスなどを開始。巨大企業シェブロンなどがセキュリティ契約を結ぶなどし膨大な利益を得る事となったが、順風に見えたEO社だが、その強力すぎる能力のせいか、政府機関などから危険視される様になり、またEO社を騙る不正事件なども相次いだ事から、外国軍事援助規制法における非合法企業として認定されてしまい、1998年に会社は解体された。
しかしながらEO社の残した功績は大きく、民間軍事会社はこれ以降増え続けた。この成功をビジネスモデルとし、アメリカのブラックウォーター社など多数のPMCを生み出している。 |
1998年のUNITA勢力図。アンゴラ国土の6割以上を制圧しており当初MPLAと戦闘を繰り広げていた内戦の相手を新政府に変えて続けた。しかし2002年にUNITA指導者の戦死により急速に勢力を失っていく。
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アンゴラ内戦
旧ポルトガル領であるアンゴラは1975年に独立した。しかしソ連の支持するアンゴラ解放人民運動(MPLA)とアメリカ、、南アフリカが支援するアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)が全面的な内戦に突入。この代理戦争は第二次世界大戦後独立を宣言していくアフリカの各国で行われアフリカの国際社会への参加を遅らせていく事になる。
MPLAはソ連、キューバの他南西アフリカ人民機構(SWAPO)の支援を受け、特にキューバは軍事顧問団10000人を派遣するなどより直接的な行動を行った。
対するUNITAはアメリカ、中国、ザンビア、南アフリカなどの国家が軍事援助、支援を行った。これらはアンゴラの豊富な資源を狙った大国の主導権争いが代理戦争へと発展したものでアフリカの主要な紛争原因の一つとして特徴づけられる。1975年西側の支援を受けるUNITAは内戦に一応の勝利をしアンゴラ人民共和国を宣言するが米ソの支援は続き戦争は傭兵部隊などを投入して継続された。1991年にアンゴラ包括和平協定が締結されると翌年には新憲法が制定され旧MPLA主導アンゴラ民主共和国が誕生した。しかし92年の大統領選挙で不正があったとしてUNITAが選挙結果の受諾を拒否。その後も度重なる交渉が行われるも内戦は継続された。
内戦の激化
93年から94年の1年間には「史上最悪の戦争」と呼ばれる激戦が繰り広げられ国内の死者数は150万人、ピーク時には1日換算で1000人の死者を生み出した。
1997年3月にはドスサントス大統領の下でUNITAの一部も参加した国民統一政府が誕生するも武装解除と取り込みに失敗し、1998年、UNTIAの武装組織の軍隊への再編、武装解除問題を元に再び戦闘が起こり、UNTIAが国土の70%を制圧。PKOのアンゴラ監視団の輸送機が2機撃墜されるという事態にまで陥った。また国連職員誘拐やPKO部隊への攻撃など国連部隊へ対しての憎悪も深まっていく。
この状況の中アンゴラ停戦監視団は1999年2月に撤退を開始。内戦は再び激化し25万人が難民となった。これら内戦の背景にはUNTIAとMLPAの利権争いも関わっている。アンゴラの石油資源はアフリカ最大と言われその埋蔵量は現在アフリカ第一位のナイジェリアを凌ぐ。また世界第五位のダイヤモンド鉱山を持つ事でも有名。キューバや中国、ロシアが石油資源を持つ政府MPLA側の支援を継続。
対するUNITAには天然のダイヤモンド鉱山があり双方の資金力が尽きることがないため、大量の武器が流入し内戦終結が見えない。
国際社会が石油やダイヤを購入する事でそれらの資金が武器購入、兵士、傭兵の雇用に使われてしまうと言う問題も指摘された。
この事から1998年には国連でUNITAのダイヤモンド(紛争ダイヤ)の取引が禁止されるが、完全に取引停止されるまでなお数年が必要だった。これによりUNITAは資金源を失い勢力が衰えていく。
終わりの見えない内戦の状況に変化が見えたのは2002年。UNITA議長のサビンビ氏が暗殺され、糾合力を失ったUNTIAが弱体化し、2003年遂に停戦合意文書に調印が成された。これにより国家再建と和平への兆しが見えてきている。しかしこの内戦による死者数は360万人を超え、埋設された地雷などで今なお多くの死傷者が出続けている。
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