アフガニスタン内戦
アフガニスタンは東にアジア、西にヨーロッパ、北方にはロシアを望む東西の要衝に位置する国家である。アフガニスタン人という人種は存在せず、パシュトゥン人、ハザラ人、ウズベク人、タジク人からなる多民族国家となっている。アフガニスタンは古くからヨーロッパ、アジア双方の侵攻ルートとなっており、大帝国が栄えるたびにそれらの覇業の傷跡が刻まれてきた。アジア系のハザラ人などはモンゴル帝国の兵士達が駐留してこの地に居着いたとされており歴史の深さと同じ位の民族対立意識を持っている。アフガニスタンは資源に乏しく山岳地帯での農業を唯一の主産業としている。ほぼ全民族がイスラム教を信奉しており19世紀以降は大きな争いはなかった。

ソ連軍のアフガン侵攻
20世紀に入りソ連が誕生すると共産勢力を拡大したいソ連は1979年にアフガニスタンに介入。それまでの王政を廃止し社会主義体制を形成していった。ソビエトのベトナム戦争と呼ばれるアフガニスタン介入によりアフガン民族はゲリラ勢力となりソ連軍と戦闘状態になっていく。一方でこれを支援すべくアフガニスタンゲリラに軍事援助を行ったのがアメリカであった。アフリカや中東で繰り返されていた東西大国の代理戦争はここでも勃発する事になる。英米の特殊工作員に戦闘訓練を施されたアフガニスタンゲリラは強力で、唯一の天敵とされたソ連軍航空部隊の攻撃もアメリカ軍の供与した対空ミサイル「スティンガー」の前に敗れ去っていった。犠牲を省みないアフガンゲリラの猛攻と残忍な殺害方法にソ連軍の士気は低下。またイスラム国家からジハード(聖戦)の為に集結したムジャヒディーン達も対ソ連戦線に参加し、1989年ソ連軍は遂に撤退を開始する。1992年にはソ連の傀儡政権であったナジブラ政権が崩壊。ラバニ政権を誕生させる。しかしソ連軍の撤退はこれまで一丸となって戦ってきた民族に再び亀裂を生じさせる。多民族のタジク人の支配を嫌ったパシュトゥン人ら他民族が政権奪取を狙い、首都カブールを中心に市街戦を展開した。その結果アフガニスタンは無政府状態に陥りソ連軍撤退以前と同じ無秩序が全土を支配する事になった。市街では強盗、殺人、レイプなどが繰り返され、戦費徴収という名目の盗賊行為も横行。かつて聖戦士と呼ばれたムジャヒディンは侮蔑の対象となっていった。

タリバン政権の誕生
この事態を憂慮したのはイスラム神学を学ぶ学生組織「タリバン」であった。彼らは1994年アフガニスタン南部で活動を開始。世直しとイスラム原理主義を掲げアフガニスタン全土に進撃を開始。指導者のオマル師は厳格なイスラム法を行使し治安と秩序を回復させていった。タリバンはパシュトゥン人を中心にしたイスラム組織であり、同民族が多数住む国家であるパキスタンからの支援を得ていた。そのためパキスタンからの軍事援助や人的、資金的支援を数多く得る事が出来た。これに追いつめられたダジク人は北部へ逃走。一連の内戦は終息を見る事となった。しかしタリバンの方針は急進的イスラム原理主義であり、犯罪者の公開処刑や女性の権利の剥奪など近代社会の方針とは逆行する物が多かった。

北部に追いつめられたタジク人、ハザラ人などは司令官のマスード将軍を中心として北部同盟を結成。タリバンに対抗すべくまたも民族間を超えた同盟を結束した。北部同盟は同じシーア派国家のイランからの援助をを背景に以降アフガニスタン統一を目指すタリバンとの戦闘を続けていく。
見捨てられた内戦で生まれたテロリズム
一方アフガニスタンとソ連の戦争はもう一つの戦争の卵を産み付けていた。当時サウジアラビアの富豪の子息として聖戦に参加していたオサマ・ビンラディンは西側世界のイスラムへの干渉に懸念を抱き、また祖国サウジアラビアに異教徒であるアメリカ人が軍事基地を設けるなどイスラム原理主義者としては看過できない問題を憂慮していた。彼のアメリカに対する憎悪はタリバンの拡大と持ち前の資金力を元に肥大していく。ラディンはアフガニスタン各地にイスラム戦士の訓練とテロ実行組織アルカイーダを結成しアメリカに対していくつものテロ攻撃を企てた。またタリバン指導者オマル師とも双方の娘を妻に迎えるなどして関係を深め支配力を増大していった。

世界同時多発テロとアフガニスタン
アフガニスタンに転機が訪れたのは2001年9月11日。それまで海外でのテロ行為だけを警戒してきたアメリカで国内でのアルカイーダグループによる同時ハイジャックが発生。4機の民間旅客機が奪取され、内2機が世界貿易センタービルに特攻。1機がペンタゴン(アメリカ国防省)に同じく特攻をかけた。(残りの一機は地上に墜落)この攻撃により民間人6000人が死亡。20000万人以上が負傷し、人類史上例を見ない大惨事となった。アメリカ連邦捜査局FBIはこの一連の事件の容疑者をアルカイーダグループの犯行と確定した。

対テロ戦争
ブッシュ大統領は国際社会にテロとの戦いを訴え、報復と首謀者逮捕のための作戦「不屈の自由」作戦を発動した。アメリカ軍は湾岸戦争で威力を発揮した航空戦力を中心に空爆を開始。アルカイーダとそれを擁護するタリバン政権を崩壊させるべく軍事行動に出た。これと共に地上ではゲリラ戦を得意とする特殊部隊、山岳部隊が北部同盟と連携する形で侵攻を開始。湾岸戦争以来の大規模な歩兵投入作戦を実施した。当初圧倒的な攻撃力でアフガニスタン全土を開放したアメリカ軍であったが作戦の主要目標の一つであったはオマル師及びラディンの逮捕には繋がっておらず事態は降着している。

またアメリカ軍はアルカイーダ及びアメリカに敵対するテロ組織を根絶すべくその支援国家や世界各地の拠点への攻撃も表明。2003年3月にはサダムフセイン政権の打倒とイラク民主化を掲げイラクに侵攻した。イラク、ソマリアなどにもその範囲を広げようとしている。現在オマル師、ビンラディン共に消息は不明となっておりアフガニスタンでは暫定政権による復興が始まっている。

アフガン戦争

2001年9月11日に発生した史上空前のテロによりアメリカ軍は世界テロ戦争に介入することになった。その最初の目的としてテロ主犯であるアルカイーダグループ及びそれらを支援するイスラム原理主義組織アルカイーダを壊滅させアフガニスタンに民主化をもたらす事を目的にアフガン戦争が開始された。2001年10月7日ブッシュ大統領はアフガン侵攻作戦「インデュアリングフリーダム(不屈の自由)」作戦を発動。B52戦略爆撃機、海上からの巡航ミサイル攻撃を中心に始まりその後、特殊部隊による現地浸透作戦、心理戦が始まった。同時に弾圧されていた市民への食料援助が空中から行われるなど人道支援をアピールし、その後特殊部隊よりも大規模な山岳師団、空挺師団も投入されていく。12月7日にはアメリカ軍と行動を共にする北部同盟がカンダハルが陥落させタリバンの実効支配は消滅した。現在主要な戦闘は終結しているものの依然消息の掴めないラディン、オマル両指導者の行方を特殊部隊、CIAなどが追っている。この戦闘は当初特異な環境でほぼ全土が山岳地帯のアフガニスタンでアメリカのハイテク兵器が能力を発揮せず苦戦するのではないかとの懸念がされたが、アメリカ軍は地上部隊にグリーンベレー、レンジャー空挺部隊、山岳師団、海軍SEAL、空軍STSなどの精鋭を送り込み短期間で勝利を得た。この戦争ではアメリカ軍の他、イギリス、イタリア、など多くの国家が部隊派遣を行い日本の自衛隊も対テロ支援法の元海上自衛隊艦艇と補給艦をインド洋上に派遣。アメリカ軍の補給支援を行った。

ムジャヒディーン

ソ連のアフガニスタン侵攻に対して抵抗したイスラム武装勢力の総称。イスラムの法典にあるイスラムの土地を守るための聖なる戦い「聖戦(ジハード)」の名の下に世界のイスラム国家から集結した戦士で神の戦士、聖戦士と呼ばれる。イスラム教徒は聖戦により殉教することで天国へ行けると信じており熱狂的なイスラム教徒は近代兵器で武装し高度な訓練を受けたソ連兵と貧弱な小火器だけで戦い勝利を収めた。

タリバン
ソ連軍撤退後に発生した長期間の内戦と民族間の略奪に対して世直しとイスラム原理主義国家の樹立を目的として1994年に結成されたパシュトゥン人主体の武装組織。タリバンとはイスラム法を学ぶ神学生を指す。世直しを掲げた彼らは内戦で飢餓に苦しむ一般市民からは歓迎されたがその後彼らはアフガニスタンのほぼ8割を掌握しイスラム原理社会を作るための厳しい弾圧や女性差別などを行った。また世界文化遺産であるバーミヤンの仏像を偶像崇拝主義として爆破、破壊するなど強硬な姿勢を見せその恐怖支配に支持を失っていく。指導者はムハマド・オマル。アメリカの同時多発テロ後にアルカイーダ殲滅を目的としたアメリカ軍の侵攻が始まると組織的な抵抗を殆どすることなく壊滅した。

アルカイーダ
サウジアラビアの富豪の子息ウサマ・ビンラディンの組織したテロ組織。ソ連との戦いでアメリカ軍から学んだ戦術や高度な武器、爆薬仕様技術を修得し豊富な資金力を背景に他のテロ組織にない高度な戦術と能力を持ち合わせている。9.11同時多発テロの主犯グループでありタリバンとも深い関係にある。活動の本拠地はアフガニスタンでアメリカ軍侵攻以降数名の逮捕者が出ているが指導者のラディンは逃走中。

マスード将軍
アーメド・シャー・マスード。タリバンにその地位を追われたタジク人などがアフガニスタン北部で結成した北部同盟の指導者。タジク人の軍人の家系に生まれラバニ政権時代には国防長官を務める。ソ連などから軍事物資を受け取り密かに反抗の機会を伺っていたが2001年9月に暗殺された。

ウサマ・ビンラディン
サウジアラビア人のイスラム教徒でアルカイーダグループの指導者。9.11同時多発テロを始め多くのテロに関与。強い反米感情を持っておりその思想を豊富な資金力で実現していった。1998年のクリントン政権下でもアフガニスタン潜伏中に巡航ミサイルで命を狙われるが生き延びた。現在アメリカ政府から約30億円の賞金を懸けられており逃走中。

ムハマド・オマル師
神学生組織タリバンの指導者(スンニ派)。イスラム原理主義に根ざしたイスラム法をアフガニスタンで実施し公開処刑や女性差別などの厳しい弾圧を行った。アルカイーダの指導者ラディンとは深い関係にあり互いの娘をそれぞれの妻にするなどしている。タリバン自体はアメリカ軍の攻撃により崩壊したが現在も存命中とされており逃走中。

北部同盟
マスード将軍を中心として旧ゲリラ勢力3派が連合し1997年6月に誕生。タジク人、ハザラ人、ウズベク人からなりタリバンと戦闘を継続。アメリカ軍侵攻以降は共同でアフガン全土に展開し実質的な国内主導勢力となっている。
アフガニスタン紛争とその後の歴史
1973年 KGB主導の元軍事クーデター発生。ジャヒル・シャー国王イタリアに亡命
1979年 ソ連軍アフガニスタンに侵攻。
ソ連軍及びアフガニスタン傀儡政権とアメリカ、イギリスの支援するアフガニスタンゲリラが戦闘を開始
1989年 ソ連軍、アフガニスタンから撤退
1992年 4月 ゲリラ勢力、ソ連傀儡政権を打倒
1993年 1月 ラバニ新政権誕生。マスード将軍国防長官に就任。
それまで統一意志を持っていた8派の各民族ゲリラ勢力が政権奪取を目論み抗争を開始。全土で内戦激化。
1994年 アフガニスタン南部カンダハールを中心にパシュトゥン人の神学者集団タリバンが発足。世直しを掲げアフガン全土に攻勢をかける。
1996年 タリバン、首都カブールを制圧。
1997年 アフガン北部を中心に旧政権派など3派が結集。北部同盟を結成。
2001年 9月 北部同盟指導者マスード将軍暗殺
9月11日 NY、ワシントン近郊でアメリカ同時多発テロ発生。貿易センターツインビル崩壊。
10月7日 不屈の自由作戦発動
10月20日 カンダハルでレンジャー部隊による夜間奇襲作戦
11月9日 北部要衝マザリシャリフ制圧
11月10日 マイマナ制圧
11月11日 北部都市タロカン、プリホムリ、西部カライナウ制圧
11月12日 西部要衝ヘラート、シンダント、ファラー制圧。
11月13日 首都カブール制圧。ザランジ、ラグマン、クマール制圧
11月14日 ジャララバード、ガルデス、ラズニ制圧
11月15日 首都近郊バグラム空港に英海兵隊到着
11月17日 迅速な自由作戦発動。 アメリカ軍海兵隊を投入。
11月25日 シュラワク秘密空港にアメリカ海兵隊前進基地設営
12月1日 フランス海兵隊マザリシャリフ空港に到着
12月3日 シュワラク基地の海兵隊1200人出撃準備完了。オーストラリアSAS先遣隊到着。
12月4日 北部クリヤブ空軍基地に米軍、イタリア軍先遣隊到着。
カンダハール制圧戦闘で海兵隊員負傷。
12月7日 カンダハール陥落 タリバン政権崩壊
12月5日 アフガニスタン政治協議合意文書調印(ドイツ ボン)
国連安保理、多国籍軍をカブールに派遣決定
12月22日 ハミド・カルザイ氏を中心とした暫定行政機構発足
2002年 ザヒル・シャー国王帰還。全民族参加の暫定政権樹立準備進む。
6月 緊急国民会議開催
2002年 1月 アフガニスタン復興支援会議(東京)
2004年 正式政権発足予定