中国
チベット独立問題
ウイグル独立問題
中国・台湾問題
南沙諸島・尖閣諸島問題
チベット問題
チベットはラマ教の指導者ダライ・ラマの下で独立を維持してきたが第二次世界大戦後の1950年に中国人民解放軍が進駐し東チベットに駐留した。チベット政府は国連に対し提訴したが事態は変わらなかった。その後ダライラマ14世が平和開放に関する協定を結び人民解放軍が全土に進駐した。この事態に漢民族による支配と宗教弾圧を恐れたチベット人の僧侶、農民が1959年3月武装蜂起し内戦が勃発した。ダライラマは10万人の難民と共にインド北部に脱出し亡命政府を樹立した。ダライラマは1988値6月に欧州会議に出席し民主自治政府樹立を求めると同時に分離独立路線を放棄。中国の新たな政策である一国二制度を利用し中国政府に揺さぶりをかけた。中国政府としてはチベットの完全自治を認めることで同様の懸案を持つウイグル自治区などで同様の問題になると考えておりさらには台湾独立という事態に発展する恐れからその動きを警戒している。

1国2制度
中国国家内部に社会主義と資本主義の2制度を共存させる理念でトウショウヘイが祖国統一の大事業を推進するために発案された。1997年7月の香港返還、1999年12月のマカオ返還などで実現されている。

ダライ・ラマ14世
1935年7月に中国青海省の農家に生まれダライ・ラマ13世の転生者と認定される。1959年チベット動乱でインドに亡命政権を樹立。1989年にノーベル平和賞受賞。

チベット自治区
1965年に自治政府として成立。人口240万人。9割以上がチベット人。ヒマラヤ山脈とコンロン山脈に挟まれた高地が居住域。

ラマ教
チベットを中心に中国北西部、モンゴルなどに広まった密教系の仏教。チベットの土着宗教ボンとインドの仏教が結びついて誕生したとされている。ダライ・ラマとは偉大な師を意味し活仏として政治的、宗教的支配者となっている。

ウイグル独立問題
中国北西部にあり8ヵ国と国境を接する新彊ウイグル自治区はウイグル族、カザフ族キルギス族、タジク族などで構成される。新彊では1949年に東トルキスタン共和国という国家が存在した実績がありソ連の圧力の中生き残りをかけて中国と結託し国家を解散した。この国家の再興が現在のウイグル地区の問題となって表面化している。ウイグル族はトルコ系遊牧民の末裔とされ9世紀頃には現在のウイグル自治区付近に定住。当時はキリスト教や仏教を信奉していたが10世紀から16世紀にかけてイスラム化した。18世紀に入り中国、ロシアの進出による混乱でイスラム教徒の反乱が相次ぎウイグル族の独立の機運は更に高まっていった。ウイグル族は周辺諸国から支援を受け6800万人の大勢力を保っている。これらは貿易や経済支援などで関係を深めており自治区内のウイグル族を後押ししている。1980年以降のソ連の衰退で活動はさらに活発化。1998年には同じトルコ系民族国家であるトルコのイスタンブールで全世界トルキスタン開放組織連盟が結成され新彊ウイグル自治区の運動との連携を宣言した。対する中国政府は信仰の自由を保障したもののイスラム教の思想が国家分裂に繋がるとして警戒し厳しい監督下に置くなどしている。1999年には自治区内のウルムチでウイグル人青年達が独立を叫び警官隊と衝突。2001年にはウイグル自治区に派遣されている中国公安庁の局長が暗殺されるなどした。こうした一連の動きには東トルキスタン・ウイグル聖戦組織を名乗るグループが関わっており中国政府はここでも多民族国家運営の難しさに直面している。
台湾問題
中国の最大の懸案となっている台湾問題は北朝鮮問題とならぶ極東危機の一つである。中国南部に浮かぶ島台湾は本来先住民族のヤミ族、アミ族などが住む島であった。オランダが一時期保有した後は慎重が683年から統治するようになり福建省の漢族らが主に入植をした。1895年日清戦争に勝利した日本は台湾を割譲させ51年間支配したが第二次世界大戦で日本が敗戦を迎えると毛沢東主席が率いる中国共産党と蒋介石総統の率いる国民党が中国全土で内戦を開始しこの戦争に破れた蒋介石と国民軍が台湾に渡り独自の政権を樹立。対峙を始めた。中国はひとつの中国政策を掲げており台湾の吸収を画策するが台湾政府は民主主義国家としての存続を認めない中国に対して強硬な姿勢をとり続けている。
1996年には中国軍が大規模な軍事演習を台湾海で行いこれに対して台湾国民軍が臨戦態勢に入る台湾海峡危機峡などが起こった。切っ掛けは台湾の総統選出選挙実施で中国の独立阻止のための威嚇軍事演習は3度にも及んだ。この事態にアメリカ政府は台湾海峡に空母インディペンデンスを派遣。国際問題に発展した。
現在中国は台湾との関係改善政策を進めているが事態は思うように進行していない。政治的には対立しているものの経済的には多くの交流を持ち中国経済の発展に大きく寄与するなど中国政府の本音と建て前も見え隠れしている。

蒋介石
1949年10月に中国共産党との内戦に敗れ12月に台湾に渡る。中国正統政府を主張し続け1975年に死去。息子の蒋経国は1987年には戒厳令を解除し民主化政策を進めた。