カシミール問題
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インドとパキスタンの比較 |
インド |
パキスタン |
首都 |
デリー |
イスラマバード |
人口 |
10億2千万人 |
1億5千万人 |
民族 |
インド・アーリア人 |
パシュトゥン人、シンド人他 |
宗教 |
ヒンドゥー教 80%
イスラム教 12%
他 |
イスラム教 97%
他 |
言語 |
ヒンドゥー語、英語他 |
ウルドゥー語、英語 |
カシミール
支配地域 |
北方地域
アーザードカシミール |
南部
ジャム・カシミール州 |
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インドとパキスタンは1947年8月にイギリス領インドから独立。それまでのインドは直接支配の他に大小562の国から構成されていた。インドとパキスタンの独立の際にこれらの小国はどちらかの国家に帰属する事となり、主にどちらの国に近いかと宗教などで決定されていった。カシミールの藩王(マハラジャ)はインドとパキスタンの国境地帯に国を持つイスラム教国であり、同じイスラム教国であるパキスタンへの帰属が考えられた。しかし藩王自体はヒンドゥー教徒であったためカシミールを独立国家として存続させる事を考えた。この独立を阻止すべくパキスタンは1947年10月にカシミールへの侵攻を開始。カシミール藩王は同じヒンドゥー教徒のインドに援助を求めインドとパキスタンによる戦争が開始された。カシミール藩王はカシミールの帰属をインドへする事でインドからの援助を取り付けたがイスラム教徒が多数を占めるカシミールの領有をパキスタンも譲らず全面戦争に突入した。これは第一次印パ戦争と呼ばれる。この戦争は国連の仲介により1949年、停戦が実現。カシミール地方は南北に分割統治される事になった。
しかし両国はこの後も残ったカシミール地方の領有権を巡り軍事衝突を繰り返した。1965年には第二次印パ戦争、1971年には第三次印パ戦争が勃発しその時現在の領土線が改められた。インドとパキスタンの領土紛争として継続したこの戦争であったが、1990年頃からインド所有のジャム・カシミール州で独立の気運が高まっていく。カシミールでは本来イスラム教徒がその殆どを占めながらもパキスタンのこれまでの政策や汚職などに不満を持ちインドへの帰属を望む者も多かった。しかし当のインド政府も汚職や差別を繰り返しインドからの分離独立を求める民族意識が次第に高まる。90年以降には独立派武装組織がインド治安軍と武装闘争を開始。ジャム・カシミールを中心にゲリラ戦やテロが頻発している。またこれに拍車をかける形でパキスタンが密かに支援する武装ゲリラが治安部隊を攻撃するなどカシミールを混沌とさせている。
1998年インドとパキスタンは相次いで核実験を実施。これにより個の領土問題は国際社会にとっても見逃す事が出来ない事態に発展した。1999年には武力衝突が発生し両軍あわせて1000人以上の死者が発生。核兵器使用の危機が高まった。これらの事態にアメリカをはじめとする国連加盟国は調停に乗り出す事になるが、国内の紛争は耐えることなく、領土紛争と核戦争の危機を現在も抱え続けている。
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