モルドバ・ドニエストル紛争
モルドバはルーマニアとウクライナの中間にある国家でドニエストル川とプルート川に挟まれた地帯に約120の民族を抱えて構成される多民族国家である。モルドバ人、ウクライナ人、ロシア人、ガガウズ人、ブルガリア人、ユダヤ人が主要民族。13〜14世紀にはモルダビア公国として誕生し15〜16世紀頃はオスマントルコ帝国に所属した。第二次世界大戦後はソ連の影響下でモルドバに住むルーマニア人をルーマニア本国から隔離する政策をとり全国民をモルダビア人としての民族意識を植え付けた。1985年ゴルバチョフ書記長の下ペレストロイカ政策が始まるとソ連に従属する多くの国家に独立機運が高まる。1990年9月にはモルドバ独立に危機感を覚えた少数派のロシア人勢力がドニエストル川東側流域をドニエストル共和国として独立宣言しモルドバ政府軍と衝突を繰り返す。
翌年にはモルダビアでも民族主義が高まり1991年8月にモルドバ共和国として独立宣言を行う。モルドバは独立後国民の64%を占めるモルドバ人が同一民族のルーマニアへの編入を画策したことから国内に残るロシア人(全体の13%)が危機感を募らせていく。モルドバ、ドニエストル両国の対立はモルドバ独立後に激化し1992年3月ロシア系武装組織とモルドバ政府軍の衝突は本格化していく。当時モルドバに駐留していたロシア軍第14軍はロシア系住民の国家であるドニエストルに加勢し事態はロシア対モルドバという構図に移り変わっていく。6月にはロシア、モルドバ、ウクライナ、ルーマニアの4ヵ国首脳がトルコのイスタンブールで会談し両組織の即時停戦と武装解除で合意した。
またモルドバはドニエストルに自治権を与える事でロシア軍を撤退させる事で合意し7月21日に調印が行われた。2002年までにはロシア軍の撤退が完了する予定で双方の武力衝突は今後避けられる模様だがドニエストルはあくまで単一国家としての独立を熱望しており完全な正常化には至っていない。
モルドバの変貌
ガガウズ紛争
ソ連崩壊の中ドニエストル共和国同様独立を目指したトルコ系民族のガガウズ人国家で1990年8月にモルドバ南部で独立宣言を行う。ガガウズ人はオスマントルコ時代にブルガリア北部に居住していた民族で18世紀頃からベッサラビアに移住。124万人がモルドバで生活している。1995年1月にガガウズ人居住区に自治権を与えることで協定が交わされロシアのエリツィン大統領とモルドバのスネグル大統領の間で調印が行われた。紛争自体は小規模であったものの現在もCIS(独立国家共同体)の平和維持部隊が監視任務あたるなど不安要素を残している。