コロンビア反政府運動・麻薬問題
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コロンビアはスペインの直轄地として全権特使の副王に支配されていたが1810年に独立。主な産業はコーヒー、エメラルド、石油、石炭、ニッケルで砂糖や果物なも豊富である。住民は植民地時代から過酷な労働に苦しめられ支配階級に対する憎悪を増していた。1959年にキューバ革命が起こると社会主義への憧れから左翼武装ゲリラが次々に結成され武装闘争が始まっていく。これらの組織は主にキューバから武器や資金援助を受けていたが1990年に冷戦が終結するとスポンサーであるソ連からの援助が止まりM19など一部の組織は武装闘争を止め政治組織として活動を開始。しかしコロンビア革命軍、民族解放軍などが勢力を拡大し国土の30%を掌握している。彼らは1980年頃から中南米で広がった思想「ネオリベラリズム」によって勢力を拡大した。ネオリベラリズムは国営企業を民営化することでインフレと国の負債を解消する政策でこの結果多くの民間企業が誕生したものの貧富の差が拡大し、結果圧倒的大多数の貧困層がゲリラを支持した事にある。
1990年以降のゲリラの活動資金は尽きるかに見えたがコロンビアマフィアが各支配地域のゲリラを雇い麻薬施設の警備や警察への攻撃などを行わせた結果最新の装備と豊富な資金を手に入れた。この結果ゲリラ、麻薬組織双方が結託し麻薬の生産量は飛躍的に増大していく。またマフィアは政治家、警察、判事などへの買収を続け90年だ初頭には国家中枢部にまでマフィアの手が伸びた。さらに反政府ゲリラは富裕層に資金提供を求めこれを拒否すれば対象者や家族を誘拐、殺害し資金の確保を行った。これら組織は1991年から98年の間に麻薬と誘拐ビジネスで6360億円を稼ぎ出し、ゲリラは政府軍よりも高性能な歩兵火器やアメリカ製対空ミサイルを持つまでに至った。
また独特の熱帯雨林と山岳、豊富な河川を持つコロンビアでは武装組織や麻薬製造工場などを造るのは容易で買収などによる警察、軍部の志気低下も手伝い勢力は拡大する一方であった。
内戦のあった10年間で35000人以上の市民が巻き添えで死に120万人以上が家を失った。また外国企業の役員などもターゲットにされ法外な身代金を要求されている。
これに対してアメリカ、イギリス政府などの麻薬取引先の国家はコロンビアへの軍事援助を行ったが関係者の多くが買収されており作戦は進展しなかった。1998年8月にはコロンビアのパストラナ大統領は和平実現のためにゲリラ側に交渉を呼びかけたが交渉は中断を繰り返し2000年には周辺国がゲリラの侵入を警戒して軍隊を警備にあて、国境侵犯を懸念したコロンビア軍と一触即発の事態になるなどしている。2003年には日本人現地滞在社員がゲリラに誘拐され殺害されるなどしており解決の糸口は見えてこない。
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各地で結成された反政府ゲリラ組織は以下の通り |
反政府組織 |
主な事件 |
コロンビア革命軍(FARC) |
1960年 武装闘争開始
1984年 停戦合意
1985年 政治組織愛国同盟結成
1990年 政治参加
1992年 和平交渉決裂
1994年 愛国同盟抹消
1995年 勢力拡大
1999年 テロ活動激化 |
民族解放軍(ELN) |
1960年 武装闘争開始
1990年 政治組織CRS結成
1991年 CRSとELN分裂
1992年 ELN和平交渉拒否
1994年 CRS和平交渉調印
1999年 テロ活動激化 |
4月19日運動(M19) |
1980年 ドミニカ共和国大使公邸占拠事件
1985年 最高裁判所占拠事件
1990年 合法政党化 |
労働者革命党(PRT) |
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毛沢東主義開放人民軍(EPL) |
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キンティンラメ |
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麻薬問題
コロンビアは南米最大の麻薬製造国家としても有名でメデジンカルテル、カリカルテルなどのマフィアが麻薬を製造している。アメリカに流入する麻薬の8割がコロンビア製とされている。マフィアは豊富な資金力で自前の滑走路や航空機、潜水艦までも所有しゲリラを雇い入れコカ畑を防衛させるなどしている。また貧困が原因でこれら組織の農場で働く農民も後を絶たず麻薬問題は複雑化している。
米英はコロンビアに対して軍事顧問などを派遣。ジャングルでの対ゲリラ戦などを教育し最新のヘリボーン奇襲作戦を伝授しているが対空ミサイルなどで武装したゲリラ部隊は驚異で一部では政府軍支援のためにアメリカ軍部隊が実働部隊として直接支援を行っているとも言われている。
90年代には米英の協力でパブロ・エスコバルの率いる麻薬組織を壊滅に追い込んだものの麻薬流入量は減ることがない。 |