ペルー民族問題
ペルー大使館人質事件
ペルーはラテンアメリカ諸国の中でも先住民の割合が大きく、白人と先住民、混血という3つの人種の抱える問題は大きくなっている。ペルーはスペイン王国の南米支配の拠点として利用されていたため封建社会の影が色濃く残り独立後も残った旧門閥組織が産業や富を独占。そのため貧富の差が激しくなりこれら要人を狙った反政府運動は頻繁になった。また第二次世界大戦前には日本人が移住を開始し戦後も中流以上の階層に留まっていたため先住民達の日系人に対する不満も多かった。

1990年代に日系の大統領アルベルト・フジモリが就任すると少数の支配に対しての不満が頂点に達した。ペルーにはトゥパク・アマル革命運動(MRTA)とセンデロ・ルミノソ(輝く道)という反政府左翼組織が存在しており、フジモリ政権は前政権で行われていたこれら組織との交渉を即時中止。テロ組織として根絶する事を発表した。

これに対してMRTAは1992年、フジモリ政権を支援する日本大使館を爆破、続く1996年にはペルー、リマにある日本大使館を襲撃。14名のMRTA実行グループが日本大使他政府要人、関係者71人を人質に大使館を占拠した。4ヶ月に及ぶ交渉は進展を見せず、1997年4月にペルー政府は特殊部隊を突入させ実行犯全員を射殺。人質1人に死者を出したが残りは無事救助され事態は終息した。これ以降ゲリラとの対決姿勢を一層強めたフジモリ政権は強硬政策を続け現在も農村部などで散発的なテロが続く

トゥパク・アマル革命運動(MRTA)
1983年に結成された社会主義革命を目指した都市型テロ組織。最高指導者のビクトル・ボラティは1992年に逮捕され服役中。メンバーはキューバで訓練を受けた精鋭。主な資金源はコカの密売。

センデロ・ルミノソ
アンデス南部の農民運動が革命分子などを抱き込み成長。毛沢東主義に基づく農民中心の原始共産主義理念を掲げる暗殺、爆破テロなど多くの事件を起こし現在も活動中。服役中の最高指導者アビエル・グスマンはその残虐さから南米のポルポトと呼ばれている。