DBDU
DESERT BATTLE DRESS UNIFORM
COAT & TROUSERS
3rd MODEL
 1991年の湾岸戦争によるメディア露出で一般に広く知られる事になったのが砂漠用迷彩戦闘服DBDU(DESERT BATTLE DRESS UNIFORM)である。アメリカ軍に於ける砂漠地帯用カモフラージュパターンの研究はベトナム戦争に突入していく1960年代には始まっており、カモフラージュパターンは1962年に完成していた。アメリカ陸軍ではイスラエル独立による度重なる戦争から今後イスラエル・アラブ諸国間の紛争に介入する可能性が大きいと判断し、アメリカ南西部の砂漠地帯を中心にカモフラージュパターンのテストを行っていた。しかし開発の途上で中東での一連の戦闘が収束していった事から開発は終了したものの、装備品、被服への導入は行われなかった。1979年に中東を行動の主目的とした緊急展開部隊RDFが創設されると、同地区での効果的な迷彩服と装備の必要性が再浮上し、1981年に新型戦闘服BDUが導入されると、同じBDUプラットフォームを利用した砂漠用戦闘服DBDUとして生産が行われた。DBDUは基本構造を1981年に制式採用したBDUと同じものにしているが、砂漠での使用を考慮しいくつかの改良も行っている。生地はBDUと同様にナイロンとコットンをそれぞれ50%使用したブレンド生地で、熱帯用戦闘服などに使用されているリップストップ素材は採用されていない。DBDUは1981年より約10年間生産されいくつかのバリエーションが存在する。
DBDUはアメリカ南西部の砂漠地帯をモデルに開発した為、中東の砂漠地帯では色が適合しなかった点やBDUよりも2色多い色を使用するコスト面、また熱に対する対策が不十分であるなどの欠点が存在したものの、1991年の湾岸戦争で大量に使用され、広く認知されるようになった。湾岸戦争末期にはより中東の砂漠に適合した新型のDCU及び3カラーデザートカモフラージュが登場した為、アメリカ軍ではその役目を終えたが、2003年に開始されたイラク戦争とその後のイラク軍、警察の再建ではアメリカ軍が支援物資として提供した戦闘服に6カラーのカモフラージュが採用されている。また彼らに随伴、訓練を行うアメリカ軍特殊部隊では狙撃等を警戒し、彼らと同じ6カラーの戦闘服を着用が見られた。DBDUはデイタイム(日中)デザートカモフラージュと位置づけられている。夜間障害物の少ない砂漠では暗視装置の性能の優劣が戦況を大きく分けると考えられていた事から夜間専用の砂漠用迷彩服DESERT NIGHT CAMOUFLAGEが同時に支給されている。デザートナイトカモフラージュはパーカータイプのジャケットとトラウザースの2ピースで共にDBDUの上から着用する。迷彩パターンはグリーンをベースにした2色グリッドパターンで、主に第一世代から第二世代の暗視装置に対して効果を発揮する目的で制作された。この為DBDUはデイデザートカモフラージュ、パートタイムカモフラージュなどと呼ばれる事も多い。
DBDU COAT 3rd MODEL
DBDUの3rdモデルは1990年頃に登場したDBDUの最終モデルで、湾岸戦争に備えた大量配備を目的にした為か、生産性を重視したデザインになっている。これまでDBDUコートの大きな特徴であった背面の二重クロスは廃止され2ndモデルで見られたウエスト調整用ストラップも廃止されている。また2ndモデルで見られたポケットのドレーンホールも廃止されている。さらに肘部分のエルボーパッチ(二重当て布)も廃止されている。
背面の二重クロスが廃止された為、ラベルの配置はBDUと同様に戻っている。
背面の二重クロスが廃止されBDUと同様のスタイルとなった裏地。
2ndモデル(左)に対してウエストストラップを省略した3rdモデル。
胸部ポケットのマチは2ndモデルと同様だが、ドレーンホールが廃止されている。(写真左)腰部カーゴポケットも同様にドレーンホールが廃止された。(写真右)
これまでスリーブに設けられていたエルボーパッチが廃止され簡素化された3rdモデル(写真左)

DBDU TROUSERS 3rd MODEL
DBDUトラウザースの3rdモデルはコート同様に省力生産を重視している。主な特徴として臀部のシートパッチと膝部分のニーパッチが廃止された。
 ラベルはコート同様に2箇所に分散して設置されている。予算年度とマニュアル(写真左)が記載されているラベルは右後部ポケット裏に配置され、サイズ及びストックナンバーラベル(写真右)は裏地背面中央部分に配置されている。
後部は臀部シートパッチが廃止されている。写真右下は2ndモデル。写真右上は3rdモデル。
3rdモデルでは膝部分のニーパッチも廃止されている(写真左)。写真右は2ndモデル。