U.S. ELECTRIC MFG.
USA LITE
U.S. NAVY FLASH LIGHT
軍における光源の発達とフラッシュライトの登場
 軍隊に於ける光源の確保は古来から現代戦に至るまでその重要度に変化は無い。人が火を使い、夜闇の安全を確保できるようになるとその行動範囲や自由度は飛躍的に増大した。古くは焚き火や松明(トーチ)などが夜間や暗所での陣地の確保や偵察、夜襲に用いられた。油が火と光量を安定的に持続させる事に気がつくとランプ(ランタン/カンテラ)が普及し、古代から近代に至るまで燃料を変えながらも使用された。これらは主に野営時や城内の警備など戦争でも数多く用いられた。また夜間に友軍間の信号として使用するなどの手法もとられた。光源は兵士にとって夜間の安全の為に欠かせずまた精神面でも不可欠の物と言える。
 トーマス・A・エジソンが1879年に彼の発明した独自のフィラメントにより真空電球の実用化(電球の発明ではない)と生産を行うと、これまでオイルやガスなどを使用していた光源の世界に電気という新しい素材が作り出された。軍用にも繋がる携帯可能な電池式のライトが登場するのはその20年後の1899年の事である。
 1896年にそれまで一般的であった液体を利用した湿電池(WET CELL)に対し、安全に携行可能な乾電池(DRY CELL)が日本人技師の屋井先蔵によって1887年に発明された。この乾電池は湿電池と比べ安全性が高く、持ち運ぶ物体、移動する物体への電池の利用が可能になった。この事に着眼したイギリス人発明家デヴィッド・ミゼルが紙製の円筒の中に乾電池を収め、その終端に電球と真鍮製の反射板を収めた携帯式の電灯を1899年に制作した。この電灯はニューヨーク市警に供与され好評を得たものの、初期のマンガン電池とエネルギー効率の悪い炭素フィラメントを使用していた為、持続性が無く、電池の残量、フィラメントの寿命に関わらず短時間の使用で、一度消灯し、しばらく休ませた後再使用するのが一般的な使い方であった。一時的に明るくなり、すぐに消灯する事からフラッシュライトと呼ばれ、後に懐中電灯の一般的な呼称となっていった。
フラッシュライトは生産が開始されて以降急速に普及し、民間、警察、軍など多くの分野で多様に利用された。また軍隊では第二次世界大戦以降、個人用装備としても一般化され、個人装備に無くてはならない存在となった。
写真のモデルはUSA LITEが1921年にアメリカ海軍向けに製造したフラッシュライトである。金属製のチューブを使用したオーソドックスなフラッシュライトで、スイッチは常時点灯モードとプッシュ式ボタンを押している時間だけ点灯するフラッシュモードが存在する。バッテリーはDセル(単1形)を2本使用する構造で、先端のバルブアッセンブリーと後部のバッテリーカバーにはクロームメッキ処理が施されている。バッテリーカバー部分には軽量なメタルハンガーが装備されている。
ボディにはアメリカ海軍を示すUSNの刻印が施されている。
光量は現代のLED方式や高性能バルブには及ばないものの、暗闇では十分な効果がある。
バッテリーカバー底部にはメーカー情報がプレスされている。左側にはメタルハンガーが収納されている。
スイッチ基部はリベットで固定されスライド式スイッチとフラッシュ用のプッシュスイッチが装備されている。スイッチ基部には製造年が打刻され1921年12月20日に製造された事が分かる。
バッテリーカバー部分から引き出されたメタルハンガー。ハンガーはランヤードなどを使用し、使用者の手から落下し、紛失されるのを防止する目的や、装備に吊り下げる目的で利用される他、ライト本体を天井や壁面、構造物に吊して照明に利用する事ができる。
U.S. ELECTRIC MFG./USA LITE
1920年代に創業したアメリカのU.S.ELECTRIC MFGはフラッシュライトの製造を行うためにUSA LITEブランドを立ち上げ、多くの革新的な製品を生産した。主にDセル(単1形)バッテリーを使用した円筒チューブ式のオーソドックスなフラッシュライトを生産し、一部はアメリカ軍にも使用された。同社の軍用に於ける成功作としては第二次世界大戦中に使用されたTL-122-Dアングルヘッドフラッシュライトがある。およそ40年間に渡りフラッシュライトの生産を続けた同社だが、1960年代にUSA LITEブランドは消滅している。
フラッシュライトを分解した状態。