UNIFORM COMPOSITIONS
FOOT WEAR

PROTECTIVEGEAR
ARMOR/HELMET

BACKPACK/RUCKSACK

LAND WARFARE I
LOAD BEARING GEAR

LAND WARFARE II
TACTICAL VEST

AIR BONE/AIR ASSAULT
AIR CREW GEAR

WATER BONE
UNDER WATER GEAR

CLOSED
QUARTER BATTLE

FIELD GEAR
アメリカ軍個人装備の発展
■近世以前の歩兵装備
 遙か昔から、歩兵にとって個人装備というのは携行する武器と同じか或いはそれ以上に重要な物品であった。実際に戦争が始まり戦地に赴くにも、まずは道中を安全に移動するための靴や山岳地帯で登坂に使用するロープが必要になる。また生命の維持に欠かせない食品、水分を効率よく運搬する為の背嚢や夜間十分な休息をとるための簡易的な寝具、風雨を防ぐための外套(がいとう)などがそれである。また戦地の気候風土に合わせた装備を携行する事も重要である。
戦場へ到達した際にも陣地構築の為に、ツルハシやスコップが必要であり、弓矢や投石から身を守るには、ヘルメットや鎧が必要になる。その他にも多くの荷物が必要で、それを運搬するには、背嚢や輸送、補給の各手段が必要になる。
 これらの装備品がいつ頃使われだしたかは不明であるが、大規模な軍団を所有していた古代ローマ帝国ではサルキナと呼ばれる食料、水袋、食器、つるはし、杭などを入れた荷物袋をフルカ(という名の棒)の先に結び、運搬する装備携行スタイルが既に存在していた。これらに加え鎧や兜も装着せずに運搬する事で移動時の快適性や移動速度の向上を図っている。この様な用法は素材や機能性が向上した現代歩兵でも移動時にはヘルメットを装備せずにバックパック等に固定している姿などで見る事ができる。
 武器やテクノロジーの発達、戦術の変化と共に、装備もその姿を変えてきた。 まだ銃器の無かった中世ヨーロッパ等では銃の代わりに剣と弓、槍が戦闘の主役であり、それらの攻撃から体を守るのには鎧が必要であった。また木や革、軟鉄や銅でできた鎧は十分に効果を発揮した。
 8世紀に中国で火薬を使った武器が使われヨーロッパでは15世紀に実用に耐えうる銃が生み出されるとさっそく戦場で使用されその威力を示した。この頃の銃器は威力はあるもののまだ信頼性は低かった。徐々に作動方式などを改善し、17世紀頃から銃が戦場の主役に変わっていく。登場初期の頃は連射も利かず弓よりも精度、飛距離が落ちることから、あくまでも弓や投げやりと同一の飛び道具の一種に過ぎなかった銃だが、圧倒的な貫通力を誇る銃弾の前には騎兵や重装歩兵が着る鉄製の鎧や盾は無力となり、銃の改良が進むにつれて命中精度、速射性が向上、戦闘はより遠距離から効果的に実施できるようになり、次第に刀剣類などの接近専用の武器は有効性を失っていった。
 産業革命以降は工作機械の性能が向上し製品の大量生産が可能になった為、銃器の進歩は革新的なものとなり、19世紀以降の戦争では銃や砲を中心とした戦争形態となる。 銃器や大砲が戦場の主役となった結果、戦闘による死者もその破壊力、殺傷力に比例して飛躍的に増大し、負傷度合いも悲惨なものとなっていった。
 これは同時に歩兵装備にも変化を及ぼし、大きく重い鉄の剣は姿を消し、一部士官のみがシンボル的な意味合いで軽量なサーベルなどを帯剣をした。歩兵は近接時の護身用にナイフや銃剣などを使用し近接戦に備えた。
 19世紀旧世代の武器は完全に姿を消す。もはや戦闘射程距離、銃の破壊力の観点から槍を持っての突撃はただの自殺行為でしかなくなっていた。このころより歩兵は現在のような銃中心の歩兵装備に変化していく。鉄製のヘルメットは健在であったものの、その用途は刀剣や矢から身を守るものではなく、砲弾の破片から身を守る目的に変わり主に上からの落下物に対して効果的な防具となるように設計された。革や金属が中心だった装具も量産性を考慮し徐々に強度のある織り方を工夫した綿製のものが増えていく。
 また銃器の発展は戦場での被服の目的を一変させている。従来の刀剣や槍を使った戦闘では大人数による接近戦、しかも混戦になるのが常であり、この為、敵味方の区別をする為、各国の軍隊は派手な色や紋章などを駆使し識別に努めた。しかし銃器の発達によりこれらは狙撃の恰好の対象にしかならず、やがて姿を消していった。代わりにより目立たない色調の軍服が普及し第二次世界大戦中には迷彩服として具現化していく。
 20世紀に入ると歩兵であれば誰でも銃を使う。それが当たり前の時代になっていた。それにより弾薬を携帯する為の装備である弾帯やホルスターなどの装備が発展していく。さらに、射撃戦闘では従来のような鎧に代わって身を守る手段を考えなければならなかった。その一つが塹壕の構築であった。塹壕は歩兵が戦闘を行うための簡易陣地であり、構築にはスコップやツルハシなどの土木用ツールが必要であった為、携帯式のスコップは現在に至るまで歩兵の必須装備となっている。
歩兵は人であり、人であるが故に過去も現在も水や食料は欠かす事ができない。その為材質や性能に変化はあっても背嚢や食事用のキット、防寒具などは遙か昔から使用されている。一方で携帯性や性能は十数世紀をかけて高機能になっており、現代社会においても最先端の技術や素材が用いられている。

■現代の歩兵装備
 世界では第一次世界大戦を迎え、歩兵装備はさらに進化していくことになる。アメリカ軍ではM1910装備を中心とした近代的な歩兵装備が開発された。
M1910歩兵装備はライフル弾を収納するための複数のポーチがベルトに固定され、銃剣を固定可能な「カートリッジベルト」と「サスペンダー」で構成され、そこに必要な各種ポーチ、銃剣、スコップ、ファーストエイドキットなどが装着可能になっていた。また背嚢であるハバーザックにはメスキットやスコップツルハシなどが専用の携行ポーチと一緒に装備できるデザインになっている。これは現代歩兵が最前線で必要になる最低限の装備をまとめたもので、これらは現代戦に必要な歩兵用個人装備をほぼ揃えており、現代戦闘装備の最初のモデルと考えても良いだろう。
 第二次世界大戦になるとアメリカ軍はM1910個人装備を中心に装備を進化させ、相次いで各種構成装備のマイナーチェンジを敢行した。色を今までのカーキ(明黄色)からオリーブドラブ(軍緑色)に変更され、朝鮮戦争ではほぼ緑一色の装備品を纏った歩兵が戦闘を行った。
被服に目を向けると1902年のボーア戦争ではイギリス軍がカーキ(軍土)色の軍服(現地で染め上げたものが発端)を戦闘服として使用しており、このカーキ色がそれ以降のスタンダードになっている。
その後戦地の風土などを念頭に入れた迷彩効果の研究が行われイタリアやドイツで迷彩を意識した被服が作られていく。
 第二次世界大戦ではドイツ軍が迷彩戦闘服を大量に支給し使用した。またアメリカ軍では海兵隊が被服やヘルメットカバーに迷彩生地を使用しているが、使用は限定的であった。1950年代には各国の軍隊の戦闘服、装備品はカーキからオリーブドラブと呼ばれる濃緑色のものが一般的になっていた。

第二次世界大戦中にその効力を認識した各国軍隊ではあったが、規律と統制の美を重んじる軍にとって迷彩服という統一感のない物体は、首脳部には受け入れられなかったのだろう。 朝鮮戦争後アメリカ陸軍は軍用銃のスタンダードとなる箱形弾倉のライフルM14を採用しそれに伴いM14ライフルに対応した「M1956LCE」歩兵装備を開発。これがその後のアメリカ軍の歩兵装備の中核になっていく。この傑作個人装備は今までのアメリカ軍のM1910個人装備を初めとする歩兵装備の流れを踏襲しつつも、スライド金具による自由かつ堅牢なポーチの配置を可能にした。但し一般部隊では装着位置は決められていた。この装備の登場により兵員は装備を自由に組み替えることが可能になった。ヴェトナム戦争が始まり本格的なジャングル戦が始まるにつれ、平原での戦いを想定されたこれらの装備は、特殊部隊隊員などによって改良を加えられより軽く、頑強になり、機能性も追求されていった。1967年には「M1967MLCE」個人装備を開発。基本構成は変わらないものの、材質をナイロンに変更した。また同戦争では多くの装備が試作され、現代装備の基礎を作り上げた。また迷彩服の効力も再認識され1980年には全軍統一の迷彩戦闘服が支給される。
 1973年にはM1967個人装備から得られたデータを基にALICE装備を採用。人間工学に基づいた合理的な設計により、大幅に機能性が向上している。このころからNBC(核・生物・化学)兵器の使用なども考慮した高性能のガスマスク、ケミカルスーツなども支給が始まり、戦場の新たな脅威に対する備えが必要になってきた。70年代後半から80年代になると、デュポン社が開発したケプラー繊維などにより防弾ベスト、ヘルメットなどが飛躍的に進歩し、防御素材には金属等に代わりケプラー繊維、セラミックなどが使用された。軽量化されたそれらの装備は、歩兵に負担無く運用させる事が可能で、すぐに全軍に支給される。1988年になるとこれまでのサスペンダー、ベルトで構成される個人装備と違うまったく新しい歩兵装備構想「IIFS」装備の支給が始まった。これは歩兵が各銃器や弾薬、携帯品などをバランスよく配分することによって歩兵の負担を減らすと共に、全天候戦闘を容易にするセパレート式 のポンチョや防弾ベストと組み合わせることが可能なTLBV(タクティカルロードベアリングベスト)などが採用された。これらの装備は必ずしもこれからの戦争が歩兵を中心に進むと考えた物では無いが、機械化歩兵を中心に編成される現代アメリカ軍では、生存性を重視した設計を第一にしている。また、21世紀には、歩兵の統合運用システム「フォース21」がテストされ、MOLLE個人装備システムが配備された。これらはアフガニスタン戦争、イラク戦争で更なる改良が加えられ、現在も進化し続けている。

■アメリカ軍特殊部隊の最新装備
ヴェトナム戦争に於いてアメリカ軍は様々な装備を試作、運用したがそれらは主に特殊部隊隊員個人のアイデアによるところが多かった。彼らはその任務の特殊性から一般部隊と異なる装備を必要とした。少人数で運用される特殊部隊は、通常よりも弾薬を多く必要とし、その運搬に耐えうる大容量の弾薬ポーチやベストを必要とした。更に機動性を活かす為により効率的な装備の運用法も検討された。但しヴェトナム戦争に於いての特殊装備は、いくつかの例外を除き正式採用はされず、各部隊は個人、部隊規模で製作又は購入をしていた。迷彩服なども独自の物が使用された。これらは、特殊部隊に対し軍上層部が与えた特権でもあったが、同時に越境作戦などの際に正規兵と判断されないための効果もあった。しかし、ヴェトナム戦争期の特殊部隊はあくまで正規支給品に対し同じ装備を追加、増設するような程度で彼らを真に満足される装備は少なかった。ヴェトナム戦争以降アメリカ軍の各特殊部隊は独自に装備を設計していくことになるが、一般部隊の装備の域を越える様な画期的な装備はあまり無かった。
 1980年代に入り特殊部隊の対テロ部隊としての運用や、より高度な作戦への投入はそれまでの装備の考えを一蹴した。特にテロに対 する部隊は、突入の際に瞬間的なスピードと正確性を要求される。銃を素早く構える為のスリング、マガジンをより多く効率的に運用する為のベスト、ハンドガンを保持するためのレッグホルスターなどが代表的なアイテムだ。任務の作戦日数によって弾薬携行数やバックパックの大きさなどは様々に変化させなければならない。数人のテロリスト相手に20本の弾倉ポーチも10日分の食料を入れるバックパックも必要ないが、逆に長距離偵察には大型のバックパックが必要である。また水中、海上からの進入を得意とするSEALSなどは、昔から使用しているフローティングシステムを装備自体に組み込む事を望んだ。これらの装備は、部隊と作戦の数だけ必要であり、現在の特殊部隊は当然多くのベストやハーネスを装備している。こうした状況をよりスピーディーに解決、改善したのが80年代以降目立って創設された民間の装備製造会社である。アメリカ軍の装備は民間向上、国営工場双方で製造されているが、個々のニーズに合う装備をオーダーメイドまたはそれに近い形で製造する民間の装備会社は少なかった。これらは特殊部隊経験者がその実績を基に設立した会社もあれば、基地周辺のテイラーが隊員のアイディアを具現化したのをきっけかえに創設されたものもある。現在これら企業はアメリカ軍特殊部隊や世界の軍特殊部隊、民間軍事会社と密接に関わりより迅速にニーズにあった製品を供給できる体制を取り、その一部は民間販売もされている。

■当ページのデータの内容は2010年頃までのデータを参考にしています
■写真の装備等は可能な限り再現しようとしていますが、入手できていない物については代用品を使用しています。代用品の記述等はしていませんのであらかじめご了承下さい。
■写真の装備を真似したりデータを参考にしたりするのは構いませんが使っていないものやこちらの想像で製作している物もありますのであらかじめご了承下さい。
■その他INFORMATIONの内容に準拠します。